夢工房大久保
私が誰にも頼る事が出来ないで悩んでいた時に主治医から夢工房大久保のチラシをもらいました。その時、様々な病院を転々として、やっと精神科での治療が始まった頃でした。友達からは、ひまわり君は頭がおかしくなった。気が狂ったなどと言われていました。それは、とてもショックな事でした。しばらく、そのチラシは、机の上に置きっぱなしになっていましたがバイクで散歩がてらに行ってみる事にしました。その時、私は26歳(2024年現在、私は54歳)だったと思います。夢工房大久保は出来て2年目でした。その時、明石には小規模作業所が2件しかありませんでした。そこには何もありませんでした。机と椅子があるだけでした。そこに当事者の方々が集まっていました。その人達との談笑がとても楽しかった様に思います。私は、その人達と何気なく過ごす様になりました。いつの日か、そこに行くのが日課になりました。
その人達と過ごすうちに病気との向き合い方が分かる様になりました。一日の過ごし方も比較的規則正しい毎日がおくれる様になりました。人とコミュニケーションを取るのが苦手でしたが、そこでの生活は私には掛け替えのないものになりました。これが私とNPO居場所との初めての出会いでした。
ひまわり君
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