私の人生の恩人

 私が30歳の時に、ある神戸の縫製工場に面接に行きました。そこの応接室の手前のデスクに白髪の年の頃は70歳ぐらいの男性が座っていました。私は応接室に通されて、しばらく待っていました。すると45歳ぐらいの社長らしき人が面接に現れました。私は自分で引いた製図と自分で縫い上げたサンプル・縫製仕様書を見せました。すると、その工場に入社する事が決まりました。それから、私は白髪の男性の下で働く事が決まりました。その男性は、この工場の会長でした。面接をしたのがその息子で社長でした。その工場は家族経営の会社でした。その弟さんが常務でした。  

 この工場は、会長と奥さんと、その弟さんで作った工場でした。会長は子供の時に事故で両足を切断したそうです。そして、両足15㎏の義足をはいて生活していまいした。私は、会長と一緒に下請けの工場を回ったり、取引先のメーカーに足を運んだりしていました。私は会長から様々な事を学びました。ある日、会長と市役所に行きました。会長は杖を突きながら、階段を上がっていきました。足が義足とは思えないほどでした。その工場の応接室に厚生労働省からの表彰状が飾られていました。会長は、まだ若い頃、両足が不自由だったので刺繡の技術を習得したそうです。その後、独立して工場を作ったそうです。私がクローズドで働いていて、その後、車で事故を起こして、病気の事を隠して働いていた事が問題になった時も、私を障害者雇用してくれました。その会社は、雰囲気がとても明るく楽しい職場でした。その工場には5年間お世話になりましたが、会長の死後、意見の違いがあったのと、私が障害者である事を知っていたのは会長・社長・常務だけでした。それで、私だけが少し早めに帰宅する事が問題になりました。様々な事が重なって退職する事にした。                                        

                                    ひまわり君

明石ピアポの会

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